私は,人に私を理解されたくない.この思いが強い.
私を私自身が良く理解していないのもあるが,
私の知らない私を指摘されるのがひどく不快だ.
その私と私自身を比べる作業は地獄だ.
よって私は人に私を開示することがあまりない.
人にして欲しいことを人にせよ,の教え通り,
私は人を理解しようとしない.
私を理解されたくないからだ.
その分,配慮や敬意や尊重は人一倍する.
しかし,その人の人となりを理解しようとは決してしない.
それは理解できるものではないと考えている.
そう簡単にわかってたまるか,と皆思っている,そう思ってきたが,
そんな人は社会の中で少数派なのかもしれない.
本日の積読
マタイによる福音書